電車の中でケータイいじっているのはみっともないと思ってしまう

はてダに、

電車の中でマンガを読んでいるのは別の意味でみっともないと思ってしまう - ハックルベリーに会いに行く

という記事があったのだけれど、これを読んで、そう言えば電車の中でケータイをいじっている人はだいぶ少なくなったなあということに思い至った。

ぼくは今、毎日電車に乗って仕事場まで通っているのだけれど、最近は車内でケータイをいじっている人というのをあまり見かけない。
よく見かけるのはやっぱり漫画を読んでいる人だ。一番はジャンプなのだろうけど、マガジンを読んだり、サンデーを読んだり、チャンピオンを読んだりしている人もいるように思う。
次によく見るのが麻雀雑誌で、近代麻雀近代麻雀オリジナルを読んでいる(ねーよwwwww)。これはけっこういい歳をした大人が読んでいる。普通の勤め人ふうの人がホームにいる時から読んでたりして、麻雀漫画が広く一般に普及しているというのがあれを見るとよく分かる。
それからたまに漫画ゴラクを読んだり別冊漫画ゴラクを読んだり、あるいは漫画ゴラクカーニバルを読んでいる人を見かけるのだけれど、ケータイをいじっている人というのはほとんど見かけなくなった。


かく言うぼくは、昔は本当にケータイをよくいじっていた。特に学生の頃は、電車といえばケータイタイムだった。
その頃のぼくは、ほぼ毎日、その日に更新されるお気に入りのケータイ小説を、行き帰りの電車の中で見るのが習慣となっていた。当時、ぼくはおばあちゃんと一緒に暮らしていたのだけれど、彼女はどちらかと言えばケータイに否定的で、電車の中でいい大人がケータイをいじっているのを見かけると、ペースメーカーを使っている振りをしてやめさせていた(笑)。そうしてぼくには、あなたはまだ学生だからぎりぎり許されるけど、大人になってまでまさかいじるようなことはないわよね――?と、遠回しに釘を刺してくるようなところもあったりした。
しかしその頃のぼくは、大人になったらどうなるかなどというのはちっとも考えたりしなかったので、そんなふうに言われても、何かを思ったり考えたりすることはなかった。

それから長い歳月が過ぎて、ぼくはいつの間にか大人になっていたのだが、気がついてみると、全くと言っていいほど電車の中では(あるいはそれ以外の場所でも)ケータイをいじらなくなっていたのである。つまり、おばあちゃんが望むような大人に、一応はなれたわけだ。

ところで、ぼくがケータイを使わない理由は一つしかなくて、それは面白くないからである。ぼくは今、本当に必要だと思えるケータイの機能というのがほとんどなくて、わずかに「mixi」と「twitter」だけだ。だから、電車の中に限らずケータイを面白そうに見ている大人を見かけると、「いい大人が……」とは思わないけれども、面白さの感性みたいなものは疑ってしまうのである。「どうしてあんな面白くないケータイを、お金を出して買うことができるのだろう?」と。


面白さなんて人それぞれという考え方もあるけれども、ケータイの売上げは頭打ちらしいから、単純に「人それぞれ」で済まされる問題でもないと思う。どうひいき目に見たって、やっぱり今のケータイの機能は余計な物ばかりで、だから買う人が減ってるのだろうし、ぼくも使わなくなったのだろう。
そういう意味で、電車の中でケータイをいじっている人に対しては、「いい歳をして」という意味ではないのだが、面白さに鈍感な人だなあという意味では、やっぱり「みっともない」と思ってしまうところはあるのである。