「施川ユウキファン」なのか「サナギさんファン」なのか、それが問題

■[マンガ]写メしあう「サナギさん」と「フユちゃん」の、言葉じゃない愛情。

これだけの大手ブログが、トップページの画像にサナギさんを使ったり、漫画を紹介するたびにサブリミナルでサナギさんをアピールしてたりと大プッシュくれるのは、私も同じ施川ユウキ先生のファンとしてとても嬉しいことです。たまごまごさんの影響でサナギさんに興味を持ってくれた人も多いだろうし。サナギさん以外の話ももちろん面白いですし、毎日毎日莫大な量のテキストを書かれているのは実に素晴らしい。漫画系テキストサイトの見本ですよ。私も毎日見に行ってます。

と、これから苦言を呈しようという時はまず一度持ち上げて保険を掛けておくのが基本w

上記の記事について。サナギさんとフユちゃんの関係性に注目して百合話にまで広げるのは実に興味深いです。ただ、「もずく、ウォーキング!」は当然の事ながら、「がんばれ酢めし疑獄!!」「ツモっ子どうぶつ」「ツモっ子の森」「今にして思えば。」「12月生まれの少年」と一通り読んでいる自分としては、施川先生がそこまでキャラの関係性について深く考えているとは到底思えないのですよ。

たまごまごさんは以前に拍手返信で「ツモっ子の森」は読んでいないような事を言ってましたし、施川先生を語る上で外しようが無い連載デビュー作「がんばれ酢めし疑獄!!」の話は全く出てこないですし、■[マンガ]もずく、立ち読み!にて施川先生のブログを自分で見ているのではなくゴルゴ31さん経由で見ていることからも、「施川ユウキファン」ではなく「サナギさんファン」だと推察致します。この2つの立場によって、施川先生の漫画の読み方は大きく違ってきているのではないかと思えてきました。

サナギさん」「もずく、ウォーキング!」などの最近の作品ではキャラクターがある程度固まった中で話が広げられていますが、施川先生の原点とも言える「がんばれ酢めし疑獄!!」ではキャラクターというのは明らかに「記号」でしか無かったのです。それによって私も「中には面白いものもあるが、まず面白いつまらない以前にシュールすぎる」という印象を持っていました。最近の作品ではキャラクターを活かす事により、「会話」でしかなかったものがキャラクターとしての「セリフ」として面白さに厚みが増し、大衆ウケもするようになってきたのではないかというのが私の勝手な分析。(実際私も酢めし疑獄を買ってはいましたが、評価が一気に上がったのはサナギさん以降ですしね) そう、本質的に施川先生の漫画の魅力は「巧みな言葉遊び」「会話劇」にあるのです。と、「施川ユウキファン」である自分は思うのです。「がんばれ酢めし疑獄!!」を読んで、「本編よりコラムの方が安定して面白くないか?」とかいう感想を持ったことがある方はこちらに分類されるかもしれませんw

そんな私の立場から「サナギさん」を読むと、フユちゃんが基本的にサナギさんとしか会話しないのは単に2人で会話してるシチュエーションが多いから、フユちゃんが携帯を使ったのは携帯を使った会話劇をしたかったから。根本的にはその程度の理由でしかないと見えるのですよ。
まぁ長々と言ってみたところで、所詮はこれも私の勝手な想像でしかないんですけど。ただ、周りにあまり施川ユウキ先生のファンがいないので、みんなが「サナギさん」という作品をどのように読んでいるのか気になった次第です。「サナギさん」でも他作品と同じように現れる施川先生の言語感覚の鋭さを楽しんでいるのか、なんだかんだでサナギさんとその周りのキャラクターの緩やかな関係性を一番に楽しんでいるのか。どちらが正しいとかではなく、どちらもこの作品の魅力なのですけど、比率の問題ですかね。


結局いのけんが言いたい事:近代麻雀オリジナル連載中の「ツモっ子の森」もぜひ読んでみてください!!
麻雀はあまり知らなくても、多少麻雀用語を知っていればなんとかなるレベルだと思います。様々な動物やキャラクターを使い、絶妙に麻雀用語と合わさった施川先生の巧みな会話劇は、廃刊スレスレのマイナー雑誌でも切れ味は抜群です。こんな雑誌だからこそ、某菓子会社の舌出し少女をネタにしたりもできますしねw



環さん@終ワリノ始マリに先駆けて、別方向から攻めてみました。環さんゴメンナサイ。なんかね、環さんって人が絶望した!久米田康治マンガ談義とか言いながら「改蔵」と「絶望先生」しか読んでいない大手サイト管理人たちに絶望した!とか言ってたのにいつまでも記事にしないんですよ。悪いのはこの人ですw