漫画の読み方

麻雀を打つ人は「麻雀打ち」、将棋を指す人は「将棋指し」、では漫画を読む人は?「漫画読み」と答えて差し支えは無いでしょう。ただ、私はこの「漫画読み」という単語がどうも苦手です。

「漫画読み」という言葉の活用形として「漫画が読めている」のような使い方をする人がいます。
特定の漫画の設定や背景などを深く考察して読んでいる事を表す言葉、ってことでいいでしょうかね?この「漫画が読めている」という表現は、苦手を通り越して私は少し嫌いな言葉です。「漫画が読めている」という言葉からは必然的に「漫画が読めていない」という反対の使われ方をする言葉が生まれます。その「読めている」「読めていない」という基準はどこから生まれるのでしょう?

物語に隠された意味深な伏線に気付かない人は「読めていない」のでしょうか?
キャラクターの表面上の可愛さ(いわゆる「萌え」)にのみ反応して、物語の本編に目を向けないという漫画の読み方は、「漫画が読めていない」として批判されなければいけないのでしょうか?
作者ですら意図しているかどうか怪しいわずかな描写にまで反応し、壮大なストーリーを予想するのが「漫画が読めている」ということなのでしょうか?
大げさな描写やトンデモ描写などをネタとして楽しむという読み方は、「読めていない」のでしょうか?
正しい読み方というのがどこかにあるのでしょうか?

答えの無い基準である「読めている」「読めていない」という表現などいらないのですよ。ただ「読んでいる」だけじゃダメなのでしょうか?

私は、読み手によって「漫画の読み方」に違いはあれど、優劣は無いと思っています。ただキャラに萌えるだけだろうが、物語を考察して深読みをしていようが、どちらが優れているという事は無いと思うのです。そりゃあからさまな伏線に気付かない人に対して「この漫画の一番面白い所はそこなのに!お前はこの漫画が読めていない!」などと言いたくなるかもしれませんが、それはそれで読み方の一つですよ。浅く読むも深く読むも読者の自由。漫画読みは所詮「漫画読み」に過ぎないんですよ。いち読者。


私は以前第1回チキチキ!ノーマーク爆牌党会議麻雀漫画としての「咲 -Saki-」という記事で「麻雀漫画の読み方」について書いたことがあります。どちらも「麻雀を打つ者」としての視点で麻雀漫画について話をしていますが、これは「麻雀を知っている読者の方が、麻雀をあまり知らない読者より優れている」という意図で書いたものではありません。あくまで、「麻雀を知っているとこういう(無駄な)深読みもできるんだよ。麻雀漫画って面白いでしょ?」といった意図で書いたものです。私の記事からそう受け取れなかったのなら申し訳ありませんが。


そもそも人には好みというのがあるから、「読めている」「読めていない」なんて評価はいらないのです。「面白い」「面白くない」だけで漫画の評価というのは充分だと思いますよ、私は。いくら「読める」漫画でも、それが「面白い」に直結するとは限らないですから。